池野 旬 教授

教員インタビュー:名誉教授

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*インタビュアー:F

F:まずは池野さんの研究内容について聞かせてください。

池野:私はもともと大学で経済学を勉強し、それからアフリカ地域研究の道に入りました。ですから研究の問題関心も経済学をかなり引きずっているところがあります。私の研究の関心はアフリカの農村が経済的に、あるいは社会的にどう変容しているかというものです。私は大学卒業後、アジア経済研究所に入所しました。アジア経済研究所ではまず82年から84年にかけてケニアに派遣され、農村の社会経済変容について研究をさせてもらいました。その後、90年代からタンザニア北部のキリマンジャロ州で研究を開始し、現在ではこちらに力をいれて研究をしています。具体的に何を調査しているかというと、たとえばアフリカの農村ではどんな生計手段をとっているかということを調べています。もちろん農業が基幹産業なのですが、彼らは農業以外にもいろんな活動を行っているのですね。家畜飼養も行っていますし、規模は大きくありませんが狩猟採集も行っています。それからもっと大きな意味を持っているのは都市部への移動労働(出稼ぎ)です。移動労働というのは農閑期のみに行う一時的なものもありますが、クリスマス休暇の時ぐらいしか村にかえってこないという長期にわたるものもあります。この長期的な移動労働というのは、なかなか興味深いものです。もちろん中には出身村にほとんど帰ってこない人もいますが、多くが村との結びつきを大切にしており,頻繁に送金したりもしています。話は少しそれてしまいましたが、以上のように私はアフリカの農村で、あるいは農村以外で人々がどういう経済活動を行っているのか調べています。

私がアジア経済研究所で研究を始めたときは、農村の社会経済変容という視点で東南アジアで主に研究が行われていました。そこでは“農村の階層分化”、すなわち、金持ちと貧しい人というのはどういう理由で生まれてくるのかということが注目されていました。そのような研究に影響を受けて、私も当初は農村の階層分化に関心を持っていましたが、アフリカで長く研究を続けていく中で“階層分化”という視点ではアフリカの農村を描くことは難しいのではないか考えるようになりました。世帯間の格差に注目するよりも、それぞれの世帯が競争し協力もしながら、どういう生計手段をとっているのか、それをどう組み合わせるのか、そして場合によってはそれをどう組み替えているのかということを調べたいと思うようになっています。タンザニアに限らず、アフリカの多くの国について言えることですが、日本よりはるかに国家というものが脆弱ですから、国家に頼っても生活保障というものは期待できない。だから世帯や地域社会が総体として自らどうしていくか、そのためにはどう工夫していくかという視点で研究をすすめています。

F:調査地のことを教えていただいていいですか?

池野:これは私がタンザニアで調査しているキリマンジャロ州ムワンガ県の県庁所在地であるムワンガ町の写真です(写真1)。2002年の時点で1万人を超える人がここに暮らしていました。写真をみてもらえればわかるように、町の中心部に家屋が固まっていますが、その周辺はすぐに農村地帯になっています。ムワンガ県の面積は東京都よりも大きいですが、県の全人口は2002年時点で11万人5千人くらい、そのうち県庁所在地には約1万人が暮らしているわけです。私の調査している村はこのムワンガ町から歩いて40分くらいのところにあります。私はそこでインゲンマメを栽培する乾季灌漑作について調査を始めました(写真2)。調べていくうちに、農地をもっている人と実際に耕している人が異なるということがわかってきました。そこで、土地の所有者と利用者がどういう関係にあるのかを調べました。また、基本的に水資源が豊富なところではないのでどのように水を配分しているのか、つまり番水形式について調査をしました。近年、この村では乾季灌漑作を行わなくなっています。その理由として村人たちは天候不順による降水量の減少を挙げるのですが、どうもそれだけではないらしいということが調査を進めるうちにわかってきました。


写真 1

写真 2
 
F:どんな理由が考えられるのですか?

池野:おそらくは、隣接しているムワンガ町での建築ブームです。これには、少し時代を遡って説明する必要がありますね。70年代末から80年代初期にかけてタンザニア政府は深刻な財政危機に陥っていました。政府はこの状況を打開すべく、社会サービスに対して受益者負担の原則を取り入れました。例えば教育では保護者に授業料の負担を求め、医療では患者に治療費の負担を求めたのです。その結果、何が起きたか?タンザニアはそれまで貧しいにもかかわらず、教育水準の高い国、特に初等教育の水準が非常に高い国でした。しかしそのような政策転換以降どんどん就学率は減少していきました。また、平均寿命の低下も顕著となっていきました。病院にいくことができない人が増えていったわけですね。このような状況に政府は2000年以降、貧困層を意識した政策への転換を迫られたのです。たとえば、教育については授業料を安くしたり、学校を増やしたりするという方針をたてたのです。それから医療施設の充実を図る。そうすると、それに伴い、都市部を中心に学校や医療施設がつくられ、また経済活動の活発化に歩調を合わせて民間住宅の建設も増大し、都市は建設ブームになるという状況が生まれました。ここでようやくさきほどのなぜ乾季灌漑作をやめたのかという話に戻るのですが、このような建築ブーム下ではインゲンマメを細々とつくるよりも建築資材の砂利、砕石、レンガを作ったほうが儲かるという状況が生まれたのです。2006年8月に調べたとき、ムワンガ町では300か所もの建築現場がありました。つまり、天候不順による降雨の減少ということよりも、もっと儲かるものを彼らが見つけたということのほうが、どうやら乾季灌漑作をやめた大きな理由のようです。/p>

F:いやーおもしろい話ですね。村の人が話すことと実情には実はギャップがある。地域研究の醍醐味だと思います.今後、この村はどうなっていくと考えていますか?q

写真 3

池野:なかなか難しい質問ですね。今お話した砂利、砕石、レンガなどの建築資材の製造は現在では環境破壊といえるまで周辺に影響を及ぼしています。砂利や砕石の場合は原料の調達のために至るところが掘り返されていることが問題ですし(写真3)、レンガの場合は焼き入れの時に必要な燃材の伐採が問題ですね。これに対し、村内で規制をすることが考えられており、たとえばここでとってもいいよ、でもこっちではだめだよという動きが今でてきています。乾季には干上がっている河川の川岸・川床などは基本的に共有地なので、本来はだれが採掘しても良い場所なのですが、あまりに破壊が大きいと村人全員が不利益を被ることになり,それをある程度規制するという流れが現れ始めています。また、このバブルのような建設ブームがいつまで続くかわかりません。現在は儲かっている建設資材ですが、そのうちつくっても売れなくなるという時が来るかもしれません。そうなったとき、もしかすると以前行っていた乾季灌漑作にもどっていくということがおきるかもしれませんね。

 
F:池野さんのお気に入りの写真を一枚みせてください。

写真 4

池野:これは私の調査村の人々が自分たちで作った水道施設です(写真4)。元々ここには政府によってつくられた別の水道設備がありましたが、あるとき、水道局がそれまで課金していなかった水道の使用料を課そうとし始めました。ところが私の調査村の人々はこれに同意できなかったのですね。断水も頻繁におきている、かつ、維持管理は自分たちでやっているのに、水道局への支払いに従うことはできんと考えたのです。そして彼らは自分たちで水源を新たに確保し、そこから水を引こうという方針をたてたのです。実際に彼らがつくったものがこの写真です。今でも完全に自分たちで作った水道のみを利用しているわけではなく、まだ政府が作ったものにたよっているところもありますが、将来的にはすべて自分たちの作った水道で賄うと言っていました。このようにアフリカの農村では、さきほどいったような個別の生計活動のほかに、自分たちのために共同してその地域の資産をつくるといった活動もみられるわけです。実際彼らが何をやっているのか、毎年訪問するごとに変化していて非常に面白いですね。

 
F:池野さんが調査を始められた当初と現在では調査地あるいは国全体として何が一番変化したと思っていますか?

池野:いわゆる「近代化」がやはり進んできましたね。初めてダルエスサラーム(タンザニア最大の都市)に行ったのは1970年代後半ですが、当時は非常にうらびれた町でした。国にお金もなかったので近代的な建物はほとんどありませんでした。ところが今は高層建築がバンバン建てられています。あとは80年代に入り、女性がお化粧をし始めたことでしょうか。80年代に入り、あれ、なんか最近タンザニアの女性、きれいになってきているぞと気づいたのですね。それまではおしゃれにお金を投資する余裕がなかったのが、最近では徐々にそういったものにお金を投資しているようです。いろいろなカッコつきの「近代化」がすすんでいるのは間違いありませんね。これには両面があって、ひとつは経済的に貧しかったタンザニアが徐々に他のアフリカ諸国並みに発展してきたというプラスの面があります。一方で、昔は当たり前であった“にこやかでホスピタリティに富んだタンザニア人”というのがだんだん変ってきているのではないかと、少しさみしい気持ちもあります。ただ、そもそも私は農村社会経済変容というものを対象としており、基本的に過渡期にあるような変化しつつある地域を調査地としているので、変化がみられるというのは必然なのですけどね。

F:無いものねだりですね(笑)。さて、ここで池野さんの研究のお話を離れ、ASAFASアフリカ地域研究専攻のことを少しお聞きしたいと思います。池野さんが考えるアフリカ地域研究専攻の特徴を教えてください。

池野:特徴の一つとして文理融合があげられると思います。学部時代に文理融合の学問を学んできた人、あるいは地域研究を学んできた人というのもほとんどいないでしょう。ですからここに入学した人あるいは入学を希望する人の中には、ここの大学院で何を研究していくのかということに戸惑うことがあるかもしれません。私の個人的な考えとしては、基本は学部で学んできたことを伸ばす、すなわち専門分野をベースにして、大学院ではそれを広げていくという研究の仕方がいいのではないかと考えています。つまり、ここでは各個人の専門に軸を置きつつも、自分の専門の視点からだけでは見えてこないものの見方が学べる、そういった視点で研究ができるというのが一つの特徴だと思います。それは、文系の専門間、理系の専門間でもいえることですが、象徴的に表現すれば文理融合になりますね。

F:ASAFASに入学を希望する学生に求める素養は何かありますか?

池野:まず自分のベースとなる専門性を学部時代にできるだけ身につけておいてほしいですね。そしてどの地域で調査するかは漠然としていてもいいので、どういうことをやりたいかということをそれなりに考えておいてほしいです。どこで何を勉強しようかと、大学院に入ってから考え始めたのでは、時間が足りなくなるかもしれません。地域研究のウリの一つでもあるのですが、ASAFSでは現地語の習得が必要となります。そうすると普通の大学院以上にここでは時間が不足します。ですから、ASAFASに入学を希望する学生には、学部時代に専門性を身につけ、かつ大学院で何を研究したいのかをできるだけしっかり考えてきてほしいですね。もちろん、学部の専門はもうひとつ馴染めなかった、大学院で心機一転・・・という、意欲ある学生も歓迎ですが。

F:いろいろと興味深いお話ありがとうございました。

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