教員インタビュー:池野 旬
*インタビュアー:N
N: ではまず、池野さんの現在の研究内容について聞かせて下さい。
池野: タンザニア北部(ムワンガ県)の農村で、農村の社会組織について研究しています。具体的には、乾季に行なわれている灌漑作にどういう人達が関わっているのかということを、もうかれこれ10年くらい追いかけています。村のなかでもごく一部のところで行なわれている農作業ですけれども、その作業には他の村の人もやってきてインゲン豆を作っていますから、「村落」という枠組を越えたような活動が行なわれています。また、そこで使っている灌漑用の水は、山の上にある他の村の溜池の水を使っているので、山の上の村の人々(水利用者)との関係もあります。乾季に利用できる水量は毎年異なるので、乾季灌漑作を行っている人、利用する畑は柔軟に変わります。乾季作を行う畑の所有者と実際に豆を作っている耕作者との関係、調査地と山地村との用水利用をめぐる関係などを調査しています。
また現在、個人の研究以外にも、科学研究費のメンバーで「コーヒー価格の下落に対する地域の対応」についてタンザニアで調査しています。僕は、ムワンガ県の山の上のコーヒー生産農村と、山の下の非コーヒー生産農村、そして地方都市(ムワンガ町、人口約一万人)の三つを結びつけるような、何らかの動きがあるかないか、という調査を担当しています。
N: それでは次に、池野さんがそもそも研究者の道に入られたきっかけを教えていただけますか?
池野: 僕は大学卒業後、アジア経済研究所に入りました。「研究」ということに対して自分にどれだけの能力があるのかは、学部卒業くらいではわかりませんが、例えば営業とかそういう職種に比べたら、研究者は自分に向いている職種だとは思いますけどね…。大学院に行ってもその先どうなるかわからないので、就職の選択肢の一つとしてアジ研の試験を受けたら幸い通ったわけです。もし通らなかったら、他の職種に就いていた可能性もありますね。
N: ちなみにアジ研にいた時はどのような研究をされていたのですか?
池野: 僕は東アフリカ担当でしたから、基本的には東アフリカ諸国の農村社会経済変容について研究していました。
N: もともとアフリカ研究をしたいと思ったのはどのような理由からですか?
池野: 何か人と変わったことがしたいという思いから、大学3年生のときに一年間休学して、ケニアのナイロビにスワヒリ語の勉強をしに行きました。当時はまだ、アフリカに行く人は今ほど多くはなかったと思います。別に研究職に就こうと思ってアフリカに行ったわけではなかったのですが、帰国後、幸いその経験が生かせるような職に就けたわけです。学生のときに、このままいくと非常に平凡な人生を歩んでしまうと思ってちょっと寄り道したつもりだったのですが、それがどうも人生の分かれ道だったみたい(笑)。
N: そうだったんですか?!知らなかった~。学生時代に、自分のやりたいことを何でも思い切ってチャレンジしてみることは大事ですね。では、もしアフリカの研究をしたくて大学院を目指すとしたら、この研究科の特色・魅力はどのような点だと思いますか?
池野: それはやはり、この研究科設置の主旨である「文理融合」ということですよね。理系の先生も文系の先生もいるので、学生にとっては自分に必要な知識やアドバイスを、文理問わず色々な専門の先生から受けることができます。もちろん院生も色々な学部の出身なので、学生どうしでも同じことが言えます。
N: 池野さんはどのような学生を期待していますか?
池野: 自分で勉強する学生(笑)。意欲的な人がいいですよね。というのも、大学院の場合はやはりジェネラリストではなくスペシャリストを求めていると思うので、地域研究のスペシャリスト、つまり学部で学んできたことを生かしながら、それを広げるような意欲がある人、という意味です。地域研究はディシプリン横断的な学問ですので、ある事象を多面的に分析するような能力が問われます。従って、自分の専門にこだわることなく、専門をベースにしながら周辺分野の学問も積極的に取り入れて分析するような意欲のある学生が望ましいと思います。
N: ちなみに受験生へ、何かメッセージをお願いできますか?
池野: どこの大学院に行くかということは、基本的にまず自分のやりたいことがあって、それをやるにはこの大学院が相応しいだろうということで選ぶのが適切だと思うので、できれば事前に、自分のやりたいことがこの大学院でできるのだろうかということを、そのテーマに近い研究をしている先生に問い合わせることが必要だと思います。
N: 池野さんはこれからの日本のアフリカ地域研究について、どのようにお考えですか?
池野: まずは全体的に研究者の人数をもっと増やすことが大切だと思います。基本的に足りない!アフリカのなかのそれぞれの国を考えた場合、その国を専門とする日本人研究者が5人もいない国が、まだたくさんあるわけですからね。アジア研究と比べて、研究者層が極端に不足しているでしょう。
例えば、日本の対アフリカ援助が今後増えることは十分に予想されますが、その場合に、アフリカの援助対象国の色々な事情を知らないでカネだけが行くという状況では望ましくないと思います。(援助に限った話ではなく)基礎になるような研究蓄積が必要になってくると思います。
N: では、ご自分の研究のこれからについても少し聞かせて下さい。
池野: アフリカ研究は続けていきますが、そろそろ体力的に、これまでと同じようなスタイルで研究を続けていくわけにはいかないので、文献に比重を置くような研究に変えていかなきゃしょうがないでしょうね。
N: でも、池野さんより年上の先生はたくさんいらっしゃいますが?
池野: そりゃ、体力には個人差があるじゃない。
N: 池野さん体力無いんですか!?(笑)
池野: 段々体力無くなってきた…(笑)。それと、これからは少し大風呂敷を広げるというか、大きな話もしていかなければと考えています。日本ではこれまで、「アフリカは」とか「東アフリカは」というくくりでアフリカに関する議論が進んできたわけですが、それは個別の事例についてたくさん情報を持っていて、それをまとめてこういうことが言えるといったものというよりは、むしろ情報が無いからそういう大きな話しかできなかったというのが正直なところだと思うんですよね。それでは駄目だと思って、僕はこれまで個別具体的な話をやる意味があると思って研究してきたんですけど、これからはそれを踏まえて(当然自分の研究だけじゃなく他の人の研究も合わせて)、「タンザニアでは」とか「東アフリカでは」とか「アフリカでは」という話につなげられるようなことを考えていかなければいけないかなと思っています。
N: 先程アフリカに関する個別の事例研究をやる人がもっと多くなったほうが良いとおっしゃいましたが、それを踏まえて、それらの研究蓄積をもう一度統合化していくことも必要だということですね。ちなみに、池野さんが尊敬する研究者っていますか?
池野I: それはちょっと答えにくいですね…(笑)というのも、基本的に「研究者」は一国一城の主なんですよね。自分が一番偉いと思っているんですよね(笑)。だから、他の研究者を尊敬すると言ってしまうこと自体、若干自己矛盾を抱えているんです。今はxxx学派というのも流行らないようですし・・・。
N: じゃあ「座右の書」とかも無いですか?お気に入りの本、あるいは学生にお勧めの本でもいいのですが…?
池野: 赤羽裕さんの『低開発経済分析序説』(岩波書店、1971年、〔復刻版〕2001年)ですかね。お気に入りというか、私が常に意識しなければならない本ですけど…。ちなみに僕が高校時代に友人に勧められて、初めてアフリカ関係の本で読んだのが、伊谷純一郎さんの『ゴリラとピグミーの森』(岩波新書、 1961年)です。戦後、日本人がまだあまり海外渡航できない時代にようやくアフリカに行けるようになったという頃の話で、つまり伊谷さんが入られたのは独立前のアフリカですから、そこで彼がチンパンジーとかピグミーの人々に会って、非常に新鮮な驚きをまとめた一冊で、当時読んでとても面白かったです。実際それから僕は大学に入って、文系にも関わらず霊長類の本を一生懸命読んでましたから(笑)。
N: なるほど。伊谷さんの本は面白そうなので私も是非読んでみます!ところで、池野さんはお休みの日はどのように過ごしているのですか?趣味とかあれば聞かせて下さい。
池野I: 最近、野鳥を観ることに凝ってるけど。カワセミが好き。僕の写真の技術じゃ撮れないけどね、動きが速すぎて。
N: 何でカワセミがいいんですか?
池野: 綺麗じゃない?それになんとなくズングリムックリでかわいい!(笑)
N: ズングリムックリ…(笑)。では最後に、アフリカの「農耕民」を研究する魅力を池野さんに是非お伺いしたいのですが…?
池野: 日本もそうかもしれないけれど、おそらく日本以上に、国はあてにならないわけですから(つまり彼らに対する社会保障って無いわけだから)、「どう生き抜いていくか」っていうのを真剣に考えて生きている人達ですから、そういう意味では彼らが何を考えて、何をやるのかっていうのを視ていくのは、こちらとしてはワクワクしますね。でも逆に「お前が何をやってあげられるのか」ということに対しては、ちょっと言葉に詰まるところがありますけど…。彼らは本当に自分で、生き抜いていく手段を考えている。そのために、時にはズルしたりとかいうこともあり得るけれど、それはいたしかたない面もあるかと思うんですよね。個人なり、世帯なりでできなければ、何らかの集団を作って対応しようと思うんじゃないかと…。僕の最近のテーマである、「社会組織」とか「地域の対応」というのは、上(国家や行政)に頼らないで自分達で生き抜く手段としての、集団化に対する関心なんでしょうね。それと、これは勝手な偏見かもしれないけど、口八丁手八丁の都市民よりは、純朴な農耕民のほうが自分にとっては馴染みやすいですね。
N: 都市民は口八丁手八丁ですか(笑)。 色々なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。