伊谷 樹一 教授

教員インタビュー

伊谷 樹一 のプロフィール >>

*インタビュアー:T

T:本日はどうぞよろしくお願いいたします。まずは研究内容について、おうかがいいたします。

伊谷:今と昔とでは、わたしの研究の方向性が多少変わっています。アフリカ研究を始めた頃は、在来農業に内在する知識や技術、農耕システムなどに興味を持っていましたが、今ではそうした研究をベースにして、農村開発にも取り組んでいます。

T:調査は、いつから、どういう視点ではじめたのですか?

伊谷:初めてアフリカに出かけたのは、1985年のことでした。その頃は、アフリカまでの飛行機代が高くて、バイトで旅費を貯めるのに1年くらいかかりました。タンザニアに長く滞在するには在留許可が必要だったので,形式上は「調査」というかたちをとりましたが、旅行の内実はただひたすら原野を放浪して山奥の農業を見てまわっただけでで、調査らしいことはあまりしませんでした。当時はまだミオンボ林帯の農業に関する農学的な情報が少なかったから、私の稚拙な調査でも研究だと見なしていただけたのかもしれません。歩き回ったのはタンガニイカ湖東岸に散在するトングウェと呼ばれる人びとの集落でした。

T:初めての調査ではどのようなことが印象に残っていますか?

伊谷:人の暮らしでしょうね。農業や狩猟、採集、漁撈が混ざっている生活なんて見たこともありませんでしたから、自然に関する知識や技術がなければ生きていけない世界で生活し、大きな衝撃を受けました。

T:その後のアフリカとの関わりと、現在までの経歴を簡単に教えていただけますか?

伊谷:1回目の旅行から帰ってきて、しばらくアフリカへ行く機会がなく、日本でササゲの水分生理に関する試験研究をしていました。90年になって、京大のアフリカ地域研究センターの高村泰雄教授に声をかけていただき、タンザニアの農村を再訪することができました。そのときもトングウェの村々を訪ねまわって、焼畑と湖畔のキャッサバ栽培の実態を調査しました。翌年の春に帰国し、その年の8月に宇都宮大学の農学部に就職しました。それからは、大学での圃場試験とアフリカでのフィールドワークを繰り返していましたが、1999年に、学生時代から20年ちかく続けてきた試験研究に終止符をうってASAFAS(アジア・アフリカ地域研究研究科)に転勤してきました。それ以来、タンザニアでの地域研究と,それを基礎とした実践的な研究を続けています。

T:初めての渡航と比べて、フィールドは変わりましたか?

伊谷:タンザニアはものすごく変わりましたし、私の関心もそれにともなって変わっていきました。93年までは在来農業についての研究をしていましたが、その頃を境にして研究の志向は農村地域の発展を念頭においた開発研究へとシフトしていきました。私が初めてタンザニアのダルエスサラームに到着したのは1985年11月5日でしたが、その日、現地ではニエレレ大統領の退官式が開かれていました。翌86年にタンザニアは構造調整計画を受け入れ、資本主義へと舵を切り、自由経済という大海原にこぎ出していきました。私がコーヒー産地で調査を始めた93年には、自由化によってコーヒー農家の生活がずたずたになっていくのを目の当たりにしました。

T:ずたずたとは?

伊谷:長年にわたってタンザニアの国家財政を支えてきたコーヒー産業でしたが、政府の後ろ盾を失ったことで、産業基盤の脆さを露呈することになります。タンザニア南部の産地では、コーヒー産業と在来農業が半世紀以上も支え合ってきましたから、コーヒー経済の破綻は食料自給をも脅かす事態になっていったのです。当時、私はアフリカ在来農業のポテンシャルについて研究していましたが、そんな悠長なことも言っていられなくなっていきました。混乱する農村社会の実態をしっかり捉えながら、現在の先進国を追うのではなく、「アフリカ的」な発展のあり方について考える必要性がでてきました。そして、1995年から3年間のJICA研究協力プロジェクト、1999年から5年間のプロジェクト方式技術協力、そしてそのあとは科研費によって実践的な地域研究に携わりながらアフリカの発展について考えてきました。

T:なるほど、農村開発への経緯がわかりました。現在具体的におこなっているプロジェクトの写真などあれば、見せてください。

伊谷:これは、私がタンザニアで手がけているマイクロ水力発電の写真です。失敗に失敗をかさねて進めてきましたが、2年前にようやく発電に成功しました。

T:どういったところに苦労されましたか?

伊谷:はじめは何もかもが難しかったですね。私自身が電気のことを何も分かっていませんでしたからね。そして、場所の選定から水のコントロール。住民が作れなければ意味がないので、水車のタービンもジェネレーターも安価な廃材から作りました。村に廃材などはありませんから、200~300キロ離れた町まで買いにいかなかなければなりません。電気は村人の憧れですから、発電に成功したことで活動全体がすごく盛り上がっていきました。私の目的は、発電事業を環境保全につなげていくことなので、今そのプロセスを記録・分析しながら、その関係性について村人と議論しているところです。

T:アフリカ農村の魅力ってどんなところでしょう?

伊谷:私の判断規準や価値観の多くがアフリカで培われた気もするので、改めて「魅力は何か」と聞かれても,うまく答えられませんね。過酷な自然や社会のなかで飄々と明るく暮らす人たちにはいつも励まされていますから、それが魅力でしょうかね。

T:学ぶものの姿勢として共感できるとこが僕にもありますね。調査のスタンスについてお伺いします。農村調査の武器は何ですか?

伊谷:私の場合は体力でしたね。学生のころ、想像でいろいろ言うと、先輩方に「観てからものを言え」とよく怒られたんです。ちゃんと観るためには体力がいるでしょう。あとはしつこさかな。

T:体力なるほど、重要ですよね。しつこさとは?

伊谷:人を理解するのは難しいでしょう。同じ人でもタイミングや文脈によって言うことが変わるし、十人十色だし、こっちの都合で解釈しちゃっていることもあるだろうし。複雑なものを複雑なまま、しかも動態として捉えておくには、対象としつこく付き合うことも重要ですね。

T:研究科の特色とは何ですか?

伊谷:アフリカでフィールドワークができるということ、そして、その経験を共有できる仲間が大勢いるということでしょうね。

T:今日はお忙しいなか、貴重なお話どうもありがとうございました。

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